幸せって何?

雑草の花 スピリチュアル
畑の花
瞑想中に思い出した。
ずいぶん昔のこと。武具を買いに京都に行って、バスを待っていた。
駅前のバス停で年配の方が、
「・・・が辛くて・・・が大変で・・・生きて地獄、死んで地獄ですよ。」と話しかけて来た。
 それを聞いて、
「ああ、その通りだな。」
 と、思った。
死と言うのは、肉体の束縛から離れて心だけになるようなもの。
心が幸せであるなら、今死んだとしても幸せな魂が残る。
心だけだから、同じ波動の魂同士が共鳴しあい、幸せな魂のコミュニティーができる。
これを極楽と言うのだろう。
逆は書きたくないな。
こうして、生と死は地続きなのだ。

生きているうちは肉体の束縛があるから時間空間が自由にならない。
おまけに物質世界では、実行のためには物を動かさないといけないから、エネルギーがいる。
例えばその思いを、適切な言葉ではないけれど「欲」と呼ぶのだろう。
欲の種類と程度によるが、実現されれば幸せになるのだろう・・・かな?
物質世界であるがゆえに、物質的な実現にはかなり不自由がある。

お釈迦様が難行苦行をして、村娘スジャータがくれたスープ?を飲んで法悦に達した。
確かこんなストーリ-だった。
真理への道は険しい・・・かもしれないけど、苦しむ必要はない。
楽しめばよいのだ。
二元論にとらわれたくない。
二元論で学ぶ星に生まれているのに、こんなことを言うが(笑)。

どこにでも幸せは転がっている。
窓を開ければ春の風、カラスや鶯の鳴き声、潮騒の音、木立と野草の緑、タンポポの黄色・・・
今、この瞬間が幸せだ。
雪の三上山

三上山雪

こんなことがあった。

「愛ってなに?」と、瞑想をしていた。
すると大好きな近所の三上山が話しかけてきた。
「君は僕だよ」
「君は山であり川であり、大地であり、水であり、大気である。」
「そう、みんな一緒」
「それを人の言葉で「愛」って言うんだろ。」

イエス様が言われた。
「皆が君と同じなのではない。」
「君が皆と同じなのだよ。」

どちらも愛の真理。

ああ、幸せだ。

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